ホーム|話題の本|『イギリスにおける「資格制度」の研究』柳田雅明著
労働政策研究・研修機構刊『日本労働研究雑誌』(2004年11月号収録・抜粋)
本書の意義は、教育資格と職業資格という制度的枠組みを縦軸に、またイングランド、ウェールズとスコットランドという地域を横軸にして、英国の教育制度の変遷を19世紀から今日に至るまで克明に追求した点にある。特に、日本でも注目されているNVQ制度を包括的に紹介したものとして、本書の意義は大きいといえるだろう。
それにしても、既存の職業資格をNVQという全国共通枠組みに位置づけるというのは、いかにも英国的で興味深い。同様な事態がアメリカで起これば、恐らく競争メカニズムを作用させることで、不要な資格を淘汰させることだろう。英国に暮らしているとラウンドアバウト(環状交差点)に掲示されている道路方向の標識が、全国どこに行っても画一的なことに驚くが、「全国職業資格協議会」という発想に接して、この国の中央集権制の強さを改めて垣間見る思いである。
次に、評者の考える本書の問題点について述べることにしたい。
第1に、これは職業資格や教育資格に限らない、人事制度についても言えることだが、およそあらゆる制度には「制度と運用の乖離」が存在する。例えば、本書の70頁で言及されており、評者もこの書評の冒頭で触れたが、現実のAレベルは学生の選択が合格の容易な科目に偏るために十分機能しているとは言えない。評者がオックスフォード大学の専任教員から聞いた話では、そもそもオックスブリッジ志願者の成績はほとんどがAであり、したがって学生間を差別化するのが困難であると言う。恐らく、その結果必要になるのは「各大学独自のフィルター」であろう。とすれば、著者の強調する「枠組みの標準化」がかえって「評価の個別大学化」を引き起こすのではないかという素朴な疑問が生じる。
次に第2点、たしかに本書は英国の教育の歴史を詳細に検討しているが、あくまでそれは職業資格、教育資格という供給側の分析に終始している。しかし労働需要側である企業は、こうした枠組みに対してどのように対応しているのだろうか。人的資源管理を研究している評者としては、採用や昇格のプロセスにおいて職業資格や教育資格がどの程度重視されているかという点がどうしても知りたいところである。この点、労働市場に関する記述が207頁から209頁までのわずか2頁というのは、率直に言って物足りないと思う。
ちなみに、筆者が関与した英国の会計士の資格に関する事例研究では、会計資格は採用に際しては重要であるが、昇級や昇格には影響しない。また採用に関しても、会計事務所を給源とする資格よりも企業内の訓練によって取得する資格を重視していくのが、企業の方針である(小池和男・猪木武徳編『ホワイトカラーの人材形成――日米英独の比較』東洋経済新報社、2002年、第1章、第4章、第6章)。こうした発見がどの程度他の資格に一般化できるのか、他日著者が解明してくれることを期待したいと思う。
第3に、評者の理解では、職業資格が採用には影響しても昇級や昇格とは無関係であるのは、それが「職業能力の最低線」を示すものにすぎないからである(例えば医師の免許を保有している者の中には腕の立つ医者もいるし、ヤブ医者もいる)。したがって、本当に個人の能力を評価できるのは職業資格ではなく、結局は直属の上長の評価にならざるをえない。
例えば(著書が「内部資格」と呼ぶ)日本の代表的な人事制度である職能資格制度では、各資格の在籍年数と人事考課結果を勘案して、上位資格への昇格が決められる。著者は、こうした内部資格は「いわゆる年功と連動しており、職務上の能力とは必ずしも対応していない」(3頁)と述べているが、実は職能資格制度においても、先のAレベルと同様、人事考課の基準である職能要件を全社一律に設定するという形で、著者の言う「枠組みの標準化」がなされている。しかも、こうした全社一律の要件は、逆に求める要件が各部門に共通するものを抽出せざるをえないため、あまりにも抽象度が高いものになった結果、見事に「失敗」したのである! 同一企業の中ですら不可能だった「枠組みの標準化」を、全国的に行うことが果たしてどこまで可能なのだろうか。
ここから「枠組みの標準化」は、それをあまりに広範囲に適用しようとするほど、かえって「個別化」が進行せざるを得ない逆説的な関係にあるのではないか、という評者の仮説が導かれる。この点、著者の御見解を承ることができれば幸いである。
以上まとめると、評者の本書に対する読後感は、「職業資格は重要である。しかしそれに過剰な期待をすることは禁物である」ということに尽きる。この点は、日本の資格制度について考える際にも忘れてはいけない点であると思う。
(評者/八代充史・慶應義塾大学商学部教授)
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